多様性の時代に生きるみなさんへ

中野香織 (服飾史家 / 著述家)

 『50代からの生き方のカタチ ―妹たちへ―』刊行おめでとうございます。

6月に還暦になりました。いつか「就職」できるかなという、ぼんやりとしたモラトリアム期間が60年続いてしまいました。同級生には「定年退職」を迎える人もいて、「退官記念講義」を多くの人に見守られて去る、という夢はついぞ叶いませんでした。

 自身の選択の積み重ねの結果なので、仕方がありません。重要な選択の場面では、「日本社会の普通の人はそっちを選ばない」と言われた方を選んできました。お金を賭けるギャンブルは一切しませんが、誰も行こうとしない道に人生を賭けてきたギャンブラーなのだと思います。「みんなが行く道」に従っておけば安泰な人生だっただろうに、という後悔は常に心の片隅にあります。

 なんとか生活できたのは、人の助けあってのことです。だから、頼まれごとは、突拍子ない未経験のことであっても、時間の許す限り引き受けてきました。ひとつ終わると新たな視界が開けていました。すると、さらに予想もしなかった仕事が「圏外」から来る……という繰り返し。59歳の終わりに振りかえると、50歳の時に夢想すらしなかった数々の仕事や人との出会いによって、予期せぬ方向に成長していたことに気づきました。

新しい景色を見たいという冒険心に引っ張られ、人生計画は考えたこともありません。これまでは運よく生き延びられたとしても、今後の保証はありません。ただ、自分も知らない自分に出会うことが究極の喜びではないかと思っているので、限界を作らず、オープンに世界に接し、繊細な感情や独自の視点を発信・共有できるエネルギー体であり続けたいとは思います。安全保証は一切ないので、みなさんにこんな考え方を勧められるはずもありません。50代では、心安らかな未来に向けて堅実な計画のもと、ご自身が心地よくいられる一日一日を丁寧に積み重ねていただきたいと切に願います。どの道を選んでも、「選ばなかった」道に対する微かな未練や後悔は付きまとうものです。そんな感情は必ずしも悪いものではなく、後悔と上手に共存している人は、他者の心の陰りに対しても優しい包容力で接することができると思います。

模範的な姉たちの例からはみだす異分子の例があることで、逆説的に、多様性の時代に生きるみなさんへの応援メッセージになれば幸いです。

2021年末、帝国ホテル第14代総料理長の杉本雄氏とのトークショー「ラグジュアリーとサステナビリティ」のときの中野香織さん

中野香織さん プロフィール:

著述、講演、コンサルティング。研究対象をイギリス文化、ダンディズム史、ファッション史、モード事情、ラグジュアリー領域へと広げてきた。経産省ファッション未来委員会委員。日本経済新聞、Forbes JAPAN、LEONなど多媒体で連載中。著書は『新・ラグジュアリー 文化が生み出す経済10の講義』(安西洋之氏との共著、クロスメディア・パブリッシング)、「『イノベーター』で読むアパレル全史」(日本実業出版社)、「ロイヤルスタイル 英国王室ファッション史」(吉川弘文館)、『モードとエロスと資本』(集英社新書)ほか多数。19歳で旅行ライターとしてデビューして以来、雑多なジャンルにわたり膨大な量の記事を書いてきた。東京大学大学院修了、英国ケンブリッジ大学客員研究員、明治大学特任教授、昭和女子大学客員教授を歴任。
HP:www.kaori-nakano.com  Instagram: kaori.nakano  Twitter: kaorimode1

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