追悼 赤松良子さんとジェネラボ

2024年2月7日に、赤松良子さんの訃報が発表されました。享年94歳。最後まで、日本ユニセフ協会会長職についておられ、その人生のすべてを社会に使い切られたことは、誠にご立派なことでありました。

赤松良子さんには、2022年6月に本ジェネラティビティ研究センター編纂で刊行した 『50代からの生き方のカタチー妹たちへー』にご協力いただき、その中で、次世代の妹たち世代へ向けたメッセージを語っていただきました。本当に感謝しております。

赤松さんのご冥福をお祈りするとともに、本研究センター特別研究員で前センター長の井垣伸子より追悼のメッセージをお届けいたします。

赤松良子さんとの出会い/ 関西学院大学名誉教授 井垣伸子

赤松さんは、国連公使、在ウルグアイ大使、文部大臣と、次々に要職に就かれていますが、中でも、労働省婦人局長時代に、男女雇用機会均等法の成立にご尽力されたことは有名です。そのときの奮闘記が、「女たちの10年戦争〜「男女雇用機会均等法」誕生〜」と題して、2000年末に、NHKプロジェクトXで放映され、大変な反響を呼びました。その赤松良子さんを関西学院大学にお招きして、「働くことは思いを叶えること」と題したご講演をしていただいたのが、2011年秋のことでした。「均等法の母」と呼ばれた赤松さんから直接、均等法成立の背後にあった苦労話を聴くことができて、講演の司会をしていたわたし自身が感激のあまり、教壇上で涙が止まらなくなったことを覚えています。

均等法以前、多くの日本企業では、女性社員は、お茶くみや書類のコピーなど、男性社員のサポート役の仕事しかさせてもらえず、給料も男性より安く、結婚したら退職するのが暗黙の了解というような非常に厳しい労働環境でありましたが、今の若い学生たちはそんな時代のことを知りません。そういう時代があって、均等法ができて、そして今がある、ということに気づいた学生たち、特に女子学生たちが、赤松さんの講演を聴いて、しっかりと覚醒してくれたのは、本当にうれしかったです。「大学卒業したら、働かずに結婚しようかな?」 なんて考えていた女子学生たちが、「働きたいです! 一生働きたい! 結婚しても、子供ができても、働き続けたいと今は思います。」と、言ってくれて、ああ、赤松さんに関学まで来ていただいて、本当によかったなと思いました。今も、女性の進出がむずかしい領域がまだまだありますので、過去のもっと大変だった時代のことを語り継いで行かなければならないなと、あらためて思います。

赤松良子さんと、井垣伸子名誉教授

わたしが初めて赤松さんにお目にかかったのは、もう20年以上前になります。ちょうど、赤松さんのご親友がイタリアから来日されていて、奈良観光をご希望されており、当時、奈良に住んでいて、赤松さんの津田塾大学の後輩にあたるわたしが、車の運転を任されたのです。鹿せんべい屋さんで調達したせんべいをお二人に渡すと、鹿たちがせんべいめがけて襲ってきて、お二人はきゃあきゃあとはしゃいで逃げ回っていらっしゃいました。そんなお姿をみて、お二人ともなんて素敵なんだろう! 純粋でまるで子供のように喜んでいらっしゃる! と感動したのをよく覚えています。

その後もご縁があり、関学へ講演にきていただいたり、シアトルで能公演を仕掛けたときも、推薦状を書いていただいたり、ずっとお世話になりっぱなしでした。たまに上京した折には、観劇やお食事に付き合っていただいたのですが、そのときに、いろいろな体験談をお話くださいました。学生時代のこと、労働省時代のこと、国連公使時代に1年間ニューヨークに滞在したときのこと、在ウルグアイ大使のお仕事のこと、滋賀県立芸術劇場びわ湖ホール初代館長をなさっていたころのこと、文部大臣時代のこと、そして、最後までお勤めなされた日本ユニセフのことなど。わたしの知らない世界のことばかりで、本当に勉強させていただきました。

 さらに一昨年、本研究センターが編纂した「50代からの生き方のカタチ」にも、二つ返事で協力していただき、大変ありがたかったです。この御恩は、また次の世代に送り繋ごうと思っています。赤松先生、安らかにお眠りください。本当にありがとうございました。

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